このダイアリーを書き始めた理由は

最近になって、自分を見つめなおす必要があると感じた。いままでは「ちゃんと諦める心構えができた、決着はついてる」と思っていた問題だ。それについてはいままでもいろいろ考えてきたけど、自分がややこしく考えてしまうから困るだけで、それをとるに足らないものとして扱う(重要なものとして扱うことを諦める)ことで、過去はもちろん、未来も、日常生活に困らない程度には、多くのふつーの人と同じように暮らせると思っていた。思おうとしていた。

しかし、恋人ができて、年齢的に結婚の話もでてくるようになり、それにより未来予想図のパターンが増えつつ、さらに現実味をおびてきた。相手がいるからには、見切り発車で「なんとかなる」とGOするわけにはいかないだろう。恋人にはそのあたりの悩みは打ち明けてあるし、心配もしてくれる。だからよけいに、自分がこの問題のことで今後混乱したりしないように、恋人に迷惑をかけたりしないように、今この時期に、根本から解決したい。


自分が持っているものは、主に(広義の)セクシュアリティの問題だ。「腐女子セクシュアリティとは」「自分にはなぜ女性嫌悪や、それに影響された形の男性嫌悪があるのか」「自分の性的指向性自認はどこに位置するのか」などなど。


性同一性障害の方、ゲイの方、性にコンプレックスを持ってる方などの、さまざまな体験を以前からよくネットで読んでいた。自分と共通点があると感じたからだ。その辺りはまた折りをみて深く書くことにするが、それらを読んでいて、自分の立ち位置を確認できるのでは?と思っていたが、そう簡単には行かなかった。当たり前だが皆が少しずつ違う。また、私の場合、GIDの基準にはあてはまらないのかも知れないと思ういくつかの点があるし、他にあてはまる名称を見つけても、ただ悩みに名前を付けたてホッとしたいだけ・・・というのでは、またいつか似たような悩みにぶつかるだろう。

自分は、簡単にいうと「女性として扱われたり、女性のように生きていくのがつらくて、でも男性になりたいという訳でもないような気がする」というタイプだ。
実は、化粧や服装のような外見的な問題については、だいぶ違和感がある。中学校の制服がセーラー服だったのだが、もはややけで「毎日が女装気分」だった。今思えばまぁ、一生着られない人もいる訳だから、貴重な体験といえなくもない。今でもスカートは夏の暑い時期にだけたまに穿く、涼しいから。化粧も女性として美しくなる気は全くないが、肌の手入れを怠るとボロボロになってしまうので、基礎化粧品はきちんとやっていたし、化粧をうまく取り入れると顔の欠点が隠せると知ったときからは、塗る方も使うようになった。


こんな風に、服装や化粧の面では、「そういう風に決まっているのだから仕方がないと、諦めること」「一般的な解釈とは別の解釈をして、自分を納得させること」といった方法を使って、対応してきた。他にも女性の待遇がよい場合、悪い場合に疑問を持ったとしても、「一般的にはそういう風に動いているし、それを変更するにはものすごい労力が必要だから、そのままにしておく」と消極的な選択をして、乗り切ってきた。

しかしそんな間に、やはりどこかでゆがみを感じてストレスがたまってしまうらしい。
たとえば、恋人は自分がスカートをはくのを楽しみにしているのだが、「どうしても嫌なら無理強いはしないけど、スカートだと嬉しいな」といわれると、スカートをはいていかなきゃ!というプレッシャーを必要以上に感じてしまう。スカートをはきたくないという自分の気持ちは、一般的な常識に当てはめれば「ただのわがまま」であるから、「自分がスカートをはくのは、一般的にはおかしくない。むしろはきたくない自分が、おかしい」とその度に心のどこかで思う(らしい)。無理強いはしないいよ、といわれているにも関わらず。

その「責め」が、しんしんと心にたまっていく。苦しくなる。



やはり、諦めたり、誤摩化しているだけでは、ダメなのだ。どうして自分がそんな気持ちを抱くのか、抱かない方がよいのかどうか、どうしたら抱かなくなるのか、きちんと解決しなければならない。自分のためにも、自分の周りの人のためにも。


過去の思い出を振り返ると、あんなこともあった、こんな出来事も・・・ということがたくさんあるはずだ。きっと、ヒントももぐっているはず。思い出して掘り出して、さまざまに勉強も重ねつつ、どうにかして、解決をしたいと思っている。